弁護士四方のこれまでの労災事件への取り組みをご紹介します。
弁護士になるまでの関わり
私は、学生時代から、労災や現場との関わりが多少あり、それが弁護士になってからの取り組みにも影響しています。
実家の工場
私の父は小さな工場を営んでいました。
工場には、プレス機、ベンダー、旋盤などの工作機械があり、主に下請けとしてプラスチックの部品を製造して大企業に納めたりしていました。
学生時代に工場が倒産してしまったため、私自身は現場の作業に関わった経験はないものの、物作りの現場の話は父からよく聞かされ、工場の独特の雰囲気にも親しみを感じていました。
大学生時代
外国に興味をもち、文化交流プログラムでネパールを訪れたとき、偶然、日本で労災事故にあったネパール人と出会いました。
その方は、日本で有名企業の工場で働いているとき、片手を切断する労災事故に遭ったのでした。手を失ったことに対する精神的負担はかなり重く、切断した側の手を常に隠すようにされていたのが、非常に印象的でした。
弁護士新人時代~大阪中央法律事務所での勤務
サラリーマンを経て、苦心の末に司法試験に合格、2005年10月に晴れて弁護士となりました。
サラリーマン時代の長時間労働の経験から、労働者側で労働事件をやりたいという気持ちを強く持っていました。当時、労働事件に力を入れていた大阪中央法律事務所に入所し、様々な経験を積みました。
アスベスト被害への取り組み
私が弁護士になるのとほぼ同じタイミングで、尼崎のクボタのアスベストの問題がメディアで大きくとりあげられました。いわゆるクボタショックです。
そして、大阪・泉南地域でも同様の問題があるのではないかということで、大阪じん肺アスベスト弁護団が現地調査をおこなうことになりました。私もこの弁護団に加わり、泉南のアスベスト工場で働いていた方の相談をたくさん聞きました。私はまだ新人でしたが、こういった弁護団の活動では、まずは手弁当での出発となりますから、とにかく弁護士の人手を確保することが必要なのです。
アスベストによる石綿肺や中皮腫は、アスベストを吸って何年・何十年も経ってから咳や呼吸困難などの症状があらわれる非常に恐ろしい病気です。病態はゆっくりと確実に進行し、それが治ることは決してありません。
私が労災申請を担当した元工場労働者の方は、やがて酸素ボンベを付けるようになりました。とても苦しそうでした。事務所まではとても来られないので、打合せのため自宅に伺ったこともあります。
また、アスベスト被害の対策を放置した国の責任を問う国家賠償請求の裁判にも関わりました。国の責任を追及する根拠として、国が古くからアスベストの危険性に関する知見を有していた証拠を集めるため、図書館に通い詰め、1930~70年頃の古い調査研究資料をあさりました。
時間や労力はかかりましたが、やりがいのある作業でした。立証活動というのは、地道な作業をどれだけ積み重ねられるかが肝なのです。
過労死問題への取り組み
過労死弁護団に加わり、過労死問題に取り組むようになったのも弁護士1年目のことです。
はじめて担当した過労死の労災申請は、不認定という悔しい結果になりました。
亡くなられた労働者の奥様の話からすると、かなりの長時間労働があったようなのですが、それを立証できる証拠資料がありませんでした。
何とか労災認定してもらいたいという気持ちで取り組みましたが、やはり証拠が全てなのだなと思い知らされた瞬間でした。
はじめての労災事故の受任
弁護士2年目、先輩弁護士に誘われ、ある労災事故を共同受任しました。
それは、工場労働者がボール盤で金属に穴を空ける作業中、衣服が巻き込まれ腕を切断してしまうという重大な事故でした。機械には緊急停止のスイッチが設けられておらず、安全教育もおこなわれていませんでした。
機械作業中の事故を扱うのはこれが初めてで、当時は詳しい知識が無かったので、ツテをたどって、ある工場にボール盤の機械を見せてもらいに行きました。
こういった事案では、弁護士自身が、機械の仕組み、作動の仕方、被災労働者の作業方法などを理解しなければなりません。
機械を知る、現場を知るというのは、今でも労災事故の基本だと思っています。
大阪中央法律事務所からの独立
弁護士4年目に独立し、自分の事務所を構えました。
大阪中央法律事務所では、共同事務所の性質上、離婚、債務整理、刑事などの幅広い案件を取り扱わなければいけませんでしたが、独立を機に、より専門的に労働者側の労働事件ができるようになっていきました。
外国人労働者の労災事件
「ユニオンみえ」という労働組合との関わりにより、外国人労働者の労災事故の事案を多く手がけるようになりました。
(ユニオンみえのブログでは、私の記事が掲載されています)
また、私が主催しているマイグラント研究会には、技能実習生の労災事故の相談も寄せられます。
外国人の労災事件を積極的にやりたがる弁護士はあまりいません。
というのは、言葉の壁や文化の違いから、非常に労力がかかるのです。やりとりが煩雑で、しかも、在留資格を失えば途中で帰国してしまう依頼者もいます。
さらに、収入が小さく評価される傾向にあるため、損害賠償額が少なくなり、「手間の割に得るものが少ない」という現実があります。
それでも私が外国人労災事案に取り組むのは、「何とかしてあげたい」という気持ちがあるからです。
外国人労働者は、劣悪な環境のもと、特に危険な作業をさせられ、悲惨な事故につながることが多いです。雇い主が悪質であることも少なくなく、「労災隠し」はザラです。
彼らは、働いて家族を養いたいという一心で、日本に来て、一生懸命働きます。労災事故は、その思いを一瞬にして砕くものです。せめて少しでも多い補償を受け取ってほしいというのが私の願いです。
これまで、外国人労災だけでも、修理作業中の屋根からの転落事故、クレーンの吊り荷落下による下敷き事故、プレス機やベルトコンベアによる手指の挟まれ、解体作業中の足場からの転落、機材に足をとられての転倒、フォークリフトとの衝突など、様々な案件を解決してきました。
過労死、過労自殺への取り組み
独立後、ある過労死が労災と認定されました。
弁護士1年目に労災申請していたもので、労基署は労災と認めなかったので、不服の手続き(審査請求)をおこない、認定されるまで3年近くかかりました。
認定されて良かったと思う反面、なぜ労基署は労災と認めなかったのか、また、認定されるまでが長すぎるという問題も改めて感じました。
過労死・過労自殺のケースでは、ご遺族の方は特別な思いをもって相談に来られます。
認定のハードルがそれなりに高いこともあり、弁護士としては大きなプレッシャーを感じることも少なくありません。
ここ数年で、私の手がけた過労死・過労自殺がいくつか労災認定されましたが、認定されたときには「嬉しい」「勝った」というよりも、「ほっとした」というのが正直な気持ちです。
受任する中には、証拠資料が少なく「これは難しいかもしれない」と思うケースもありますが、それでも、丁寧に証拠を拾い主張することで、労災と認定されることもあります。
難しくても、可能性があれば諦めずに取り組むことが大切です。
日本人の労災事故
この5,6年は、事務所のHPを見て、労災事故の相談に来られる方が多くなりました。
それまでは労働組合からの紹介が中心でしたが、HPを見て来られる方は、はじめから私に依頼をしたいという気持ちで来られます。
「ぜひ四方先生にお願いしたい」と言われると、やりがいを感じる一方、身が引き締まる思いもあります。
日本人の労災事故では、典型的な事故(機械作業中の手指の負傷・切断、下敷き事故、転落・転倒など)のほか、特殊技術を扱う事業所での作業中に発生した事故も扱いました。
重い障害を負った方の事案も増えてきました。
あるケースでは、被災労働者が寝たきりの状態になってしまい、高齢のご家族が介護について悩んでおられたので、いろいろ調べてケアプラザ(労災特別介護施設)を紹介したこともあります。
生活面のことは、弁護士ではできることに限りがありますが、それでも可能な範囲でアドバイスしていきたいと思っています。
おわりに
あるテレビ番組で、とある弁護士が「いま弁護士業界で流行っているのは、労災」という発言をしていました。
確かに、5年前には労災に取り組む弁護士は限定的でしたが、最近、急激に増えた印象です。
弁護士業界の競争が熾烈になり、また、一部の弁護士の収入源ともいえる「過払い金訴訟」が終焉を迎えるにあたり、この傾向が顕著になっているようです。
労災案件に取り組む弁護士が増えるのは悪いことではありませんが、少し前まで「過払い金専門」を自称していた事務所が、急に「労災に強い」「労災専門」と謳いだすのを目の当たりにすると、さすがに不誠実なのではないかと感じます。
また、交通事故の延長として労災事故を扱う弁護士も見かけますが、両者は事故発生経緯や安全配慮義務違反の立証などにおいて、全く性質が異なります(労災の損害賠償請求の特殊性)。
後遺障害等級や逸失利益の計算という点では両者は共通しますが、だからといって「似たようなもの」として扱われるのには違和感があります。
労働分野に限らず、最近の弁護士広告は、「儲かれば何でもよい」という雰囲気を感じることが多くなりました。
冒頭の「今流行っている」というのも、そういった傾向を汲んでの発言です。
こういった弁護士業界の流れは、個人の力で変えられるものではありませんが、私のスタンスとしては、これまで通り、1件1件について誠実に向き合うことを大切にしていきます。
弁護士 四方久寛(大阪弁護士会所属)