2019年6月3日より、名称を「四方法律事務所」から「大阪労災・労働法律事務所」に変更しました。

残業代請求は自分でできる?理想と現実-労働弁護士コラム

ネット上で「残業代請求は弁護士に頼らず自分でできる」という情報を見かけることがあります。

サービス残業で悩んでいる労働者からすると、 こうした情報は「嬉しい情報」なのではないでしょうか。

専門家に頼むことなく労働者個人が残業代請求をして、 円満に解決をすることができるのであれば、それは理想的なかたちです。

ただ、現実は、それほど簡単なものではありません。

「残業代請求は弁護士いらず」という種の情報は、不確かなもの、誤っているものも多く、注意が必要です。

以下、長い説明になりますが、ご自身での請求をお考えの方は、リスク面もきちんと知っていただければと思います。

自分でおこなう残業代請求、何が難しい?

意外と難しい未払い残業代の計算

何が難しいかというと、まず、残業代の計算です。
「ネットで計算方法が書いてあるから、大丈夫」という声が聞こえてきそうですが、 ネットの情報のみで、正確に計算をするのは限界があります。
会社の残業代請求対策が、どんどん複雑になってきているからです。

この対策というのは、「請求された後の対策」ではなく、「事前の対策」です。
特に最近目立つのは、従業員から残業代を請求されるリスクを低くするため、会社が自身に都合の良い「一見、適切に残業代が支払われているかのような給与体系」を作るというケースです。

この「見せかけ」を見抜けないと、 正しく時給(算定基礎賃金)が計算できず、また残業代の既払いの計算も誤ってしまうことになるので、計算結果に大きく違いがでてしまうのです。

次の事例で、労働者Aさんの未払い残業代がどう変化するか、説明します。

事例

労働者Aさんは、B会社の正社員です。
雇用契約時、AさんはB会社の担当者より「基本給は25万円」との説明を受けていましたが、就職後、Aさんが受け取った給与明細書では
25万円は
「基本給」20万円
「営業手当」5万円
の2つの項目に分かれて記載されていました。

Aさんの1か月の平均所定労働時間は173.8時間でしたが、1か月に50時間の残業(深夜早朝労働はなし)をおこなっていました。

残業代が支払われないのでAさんがB会社に抗議したところ、B会社は「営業手当が、固定残業代なんですよ。」という説明をしました。

Aさんが2年間、ずっと同じ働き方をしていた場合、B会社に対し、いくら残業代を請求することができるでしょうか?

①「営業手当」を「固定残業代」と扱って計算した場合

まずは、B会社の言い分に従って「営業手当」を「固定残業代」として計算してみます。
(※固定残業代が支給されていてもその支給分を越える残業をおこなっていた場合、Aさんは未払い残業代を請求することができます。)

まず、Aさんの時給(算定基礎賃金)は、
20万円(基本給)÷173.8時間(1か月の所定労働時間)=1150円
となります。
そして、Aさんに支払われるべき1か月の残業代は、
1150円(算定基礎賃金)×1.25(割増)×50時間=7万1875円
となります。

「営業手当」が既払いの残業代になるので、1か月の未払い残業代は
7万1875円-5万円(営業手当)=2万1875円
となります。

そして、2年間の未払い残業代は
2万1875円×24か月=52万5000円

Aさんは52万5000円の残業代を請求する権利があることになります。

②「営業手当」を「基本給」として計算した場合

Aさんは、もともと「基本給は25万円」という条件でB会社に就職したつもりなので、「営業手当」は「固定残業代」ではなく、あくまで基本給と同一視できるものとして計算します。

まず、Aさんの時給(算定基礎賃金)は、
(20万円(基本給)+5万円(営業手当))÷173.8=1438円
となります。
そして、Aさんに支払われるべき1か月の残業代は、
1438円(算定基礎賃金)×1.25(割増)×50時間=8万9875円
となります。

「営業手当」は残業代ではないので、既払いの残業代は0円となります。

そして、2年間の未払い残業代は
8万9875円×24か月=215万7000円

Aさんは215万7000円の残業代を請求する権利があることになります。

手当の判断の難しさ

①と②では、1つの手当の性質の判断を変えただけで、163万2000円もの違いが出る結果となりました。

このように、手当をどう扱うかは請求額を大きく左右しますが、1つ1つの手当の性質を判断するのは容易ではありません。

しかも、いま上げた事例はあくまで山ほどある会社の残業代請求対策のうちの一例にすぎません。

特に最近は、会社の残業代対策が巧妙化しているうえ、 残業代請求の分野で次々に新しい裁判所の判断が示されているため、 弁護士であっても詳細を確認しなければ未払い残業代を正確に計算できないこともあります。

上記の例でも、①と②、どちらの計算が正しいのかを客観的に判断するためには、更に

  • 雇用契約書には、賃金の取り決めはどう記載されているのか?
  • 雇用契約書が無い場合、基本給の説明を立証できる手段はあるのか?
  • 就業規則(賃金規定)での取り決めはどうなっているのか?
  • 基本給の説明は、どの役職の人が、具体的にはどのように言っていたのか?
  • 求人票の条件欄にはどのように記載されていたのか?

などを確認しなければいけません。

「自分だけで上手く解決できた!」は本当?

「弁護士に頼らず自分だけで上手く解決できた!」という体験談は、冷静にとらえることが必要です。

「上手く解決できた」というのは本人の主観であって、客観的にみれば、実はそうとは限らないこともあるからです。

先ほどの例では、
①の計算結果は52万5000円
②の計算結果は215万7000円
となっていましたが、本当は②の計算が正しいのに、本人が①のパターンで計算していて 結局50万円で和解した場合、 本人は「ほぼ満額の50万円が得られた」と成果を感じていたとしても、 実は、本来の215万円程度から比べ、かなり低額で和解してしまっているわけです。

この場合、会社は、本人の計算の誤りに気づいたうえで 「本来はもっと高額な残業代を支払わなければいけないけど、 まだ本人がそれに気づいていないから、今のうちに低額で和解してしまおう」 と考えて和解に応じた可能性が高いでしょう。

実際、会社が支払い応じるときには、それなりに会社側にも思惑があります。
請求者側と同様、応じる側も損得を勘定するわけです。

何でも「自分に有利」に計算するのもリスクが伴う

計算を誤ると請求額が本来よりも小さくなってしまうことがある、 というのが先ほどの話でしたが、 では、とりあえず何でも自分に有利に計算してみればよいのかというと、 それも考えものです。
請求の段階であればまだしも、会社から計算方法の誤りを指摘されても なお「この請求内容は認められるべきだ」と強固な姿勢を維持していると、 良い解決のチャンスを逃してしまうことになります。

訴訟でしか解決できないケースもある

「残業代請求は自分でできる」という種の情報サイトでは、大抵次の文句が目に飛び込みます。

「訴訟はハードルが高いでしょう。
しかし、○○という方法でも、残業代請求をすることができるのです!」

この○○には、内容証明郵便、労働局でのあっせん手続き、労働審判、民事調停などが入ります。
しかし、これらの手続きでは、いずれも会社に拒否されれば成果は得られず、結局は訴訟に踏み込まざるをえないことを知っておくべきです。

参考程度に、少しだけ各手続きについて触れておきます。

内容証明郵便

残業代請求をおこなうテクニックの第一段階としてよく取り上げられるのが、「内容証明郵便を送る」ことです。
この内容証明郵便、ネットや一部の書籍では強力な手段かのように取り上げられることもありますが、(特に行政書士がよく取り上げている印象です)、実際には、内容証明郵便それ自体には消滅時効の進行を一時的に停止させる以外に大した意味はないと言って良いでしょう。

弁護士から請求をおこなう場合も、まずは内容証明郵便を利用するのが一般的ではありますが、重要なのは「どのような内容の意思表示を」「いつ」するか、「その後どのような対処をしていくか」です。

労働審判

労働審判は、裁判所でおこなわれる手続きで「3か月以内に、話し合いでの解決を目指す」という迅速な手続きであることから、 「簡単」「手軽」というイメージを受けやすいようです。

しかし、労働審判はいわば「訴訟のミニチュア版」です。
訴訟であれば、1~2年をかけて審理するものをたった3回(実質的には最初の1回の期日)でこなし、同時に、労働者は委員会や相手方からの質問(追及)にその場で答えなければいけないため、むしろ訴訟よりも大変です。

また、裁判官の個性が審理に反映されやすく、裁判官によっては法律的にどちらの主張が正しいのかを考慮せず労働者側に過度な妥協を求める例もあり、冷静に対処しなければいけません。

労働局のあっせん手続き

労働局のあっせん手続きは、個人でも利用しやすいです。
特定社会保険労務士(社労士)が代理人になれるので、社労士のHPでよく取り上げられています。
ただし、あっせんを申請しても、会社は不参加を選択することができ、その場合打ち切り(手続き終了)となってしまいます。

民事調停

裁判所の手続きの中では、比較的個人で利用しやすい手続きです。
ただし、未払い残業代の額に関して大きな争点があれば、民事調停のみで解決するのは不向きです。

民事調停では、労働審判ほど法律の論点が重視されないので、「客観的に判断して、いくらの支払いが適切か」という観点よりも「労働者の請求額が200万円なのに対して、会社が50万円の支払いを希望しているので、間をとって100万円で和解したらどうか」というような漠然とした和解案が調停委員から提示される傾向があるからです。

労働基準監督署

労働基準監督署にサービス残業の実態を調査してもらい、未払い残業代を支払うよう会社に指導してもらう方法ですが、これにも過度な期待はしないほうがよいです。

監督官はあくまで中立の立場であり、 客観的に確認できた最低限の未払い残業代しか認めません。
また、調査官によって能力や対応に大きな違いがあったり、残業代の計算も正しくできていなかったりすることがあります。

見通しの難しさ~頭の良い人ほど落とし穴にはまる~

私は、自身で残業代請求をおこなった方や、それを一度考えたという方からの相談をお受けしたことがありますが、「頭の良い人ほど落とし穴にはまる傾向にあるのでは」という印象を受けました。

頭の良い人というのは、「理屈」がよく理解できる人です。
理屈が理解できるからこそ、①残業代請求について調べ②理解し③「正しい請求の仕方」に基づいて請求する、ということができるわけです。

ただ、そういった「頭で理解できる理屈」と「現実」は違うという落とし穴があります。

理屈で考えれば、「証拠もそろってるし、法律に基づいて請求しているのだから 会社も支払いに応じてくれるだろう」という考え方になりますが、現実はもっと理不尽な目にあうことが多いです。

元々、法律を無視して残業代を払わなかったような会社なので、そう一筋縄ではいかないのです。

会社の立場に立って冷静に考えれば、「これは訴訟になったら確実に負けるし、訴訟まで発展して弁護士費用を支払うくらいなら、いま和解に応じよう」という考えになりそうなケースであっても、実際には、会社側が「とにかく、絶対に支払いたくない」という強固な感情のもとによく分からない無理筋の反論をすることも珍しくありません。

とにかく、労働者側の姿勢としては、良い解決案の提示を受けられれば早期和解を検討し、あまりにも足下を見られるのであれば訴訟に踏み切り、裁判所に適切な判断を求めるといった思い切りが必要です。

そして、その判断には、自身の請求について

  • いくらが妥当なのか?
  • 訴訟をおこなえばどの程度認めてもらえるのか?
  • 現時点での会社からの提案額はどれほどのラインなのか?
  • 現段階で和解をするメリット(あるいは応じないリスク)はどれほどあるのか?

という「見通し」と「バランス感覚」が必要です。
この2点は、生きた情報に日々接している弁護士からでないと得られないものだと思います。

自身での請求が考えられるケース

最後に、自身での残業代請求が考えられるケースについてふれておきます。
今回のコラムは、リスクを知ってもらうという意図でつくったのでマイナス面を中心に説明しましたが、弁護士なしでは絶対に良い解決ができないとは言いません。
良い条件が重なれば、妥当な解決ができることもあるとは思います。
(ただし、過度の期待は禁物です)

積極的にお勧めするわけではありませんが、次の条件を全て満たすケースでは、 比較的個人での解決が見込めるでしょう。

  1. 給与体系が非常に単純で、よく分からない手当が一つもない。
  2. 労働時間がタイムカード・出勤簿などの基礎的な資料のみで全て立証できる。
  3. 会社の経営状態がよく、資力が十分にある。

ただし、「自分で請求をする」ことの一番の目的は何かということは、 しっかり見つめておいたほうがよいと思います。

「第三者(弁護士)を介入させずに、自分の力で解決をしたい」場合や、 「弁護士に頼むと明らかに費用倒れになるので、自分でやる」などの場合には、 思い切って自身での手続きにのぞめば問題ありませんが、 「弁護士費用を支払うのがもったいないから」という理由であれば、 少し冷静になって損得を計算してみることも大切です。

弁護士 四方久寛(大阪弁護士会所属)