残業代請求の際に最も重要な証拠は、言うまでもなく労働時間に関する証拠です。
労働時間に関する証拠は、弁護士が依頼を受けた後に収集することもできるのですが、証拠は時の経過とともに失われていくものですし、悪質な使用者が意図的に証拠を残さないよう悪知恵を働かせることもありますから、労働者自身がふだんから証拠資料を確保しておくよう心がけることも重要です。
証拠収集するときの注意点
労働時間の証拠となる資料は、会社の所有物である場合が多く、また、会社の業務上の秘密や他の個人のプライバシーに関わる情報も少なくないため、それらの収集には慎重を期する必要があります。
そうした情報の持ち出しは、会社の就業規則によって禁止されていて、懲戒処分の対象になることもあるでしょうし、資料そのものを職場外に持ち出した場合には、窃盗罪などの刑事犯罪が成立する場合もあるからです。
そこで、労働者自身が自力で証拠資料を収集する場合に注意すべきことを、資料の種類別にお話ししておきます。
タイムカード、出勤簿
タイムカードや出勤簿が、労働者の労働時間についての基本的な証拠資料であることは言うまでもありません。また、これらの証拠資料は、そもそも労働者の出退勤を管理するためのものですから、その情報を一定の方法で持ち出すことに法的な問題はないと言ってよいでしょう。
ただ、タイムカードや出勤簿も、会社の所有物であることに変わりはありませんから、それを社外に持ち出すことまではするべきではありません。締め日にタイムカードや出勤簿が引き上げられらる前に社内でコピーをしておくか、あるいはそれが無理な状況であれば、携帯電話のカメラで撮影しておけばよいでしょう。
パソコンのログ
会社で業務に使用しているパソコンの内部には、起動時刻・終了時刻のログ記録(データ)が蓄積されています。これも、労働者の労働時間の重要な証拠資料となります。
これらの記録(データ)は会社のパソコンの内部に保存されている情報ですから、会社の保有する情報であることは間違いありませんが、それ自体として会社の業務上の秘密や他の個人のプライバシーに関わる情報ではないと考えられます。したがって、あくまで残業代請求に使用する目的で、残業代請求に必要な限りでパソコンのログのデータをコピーしておくことは、法律上問題はないと言ってよいでしょう。
パソコンのログのデータの取り出し方は、インターネット上の様々なページで紹介されていますので、それらをご参照ください。また、パソコンに私物のメモリを接続することが禁止されている場合もあるので、そのような場合には、ログのデータを表示したパソコンの画面を携帯電話のカメラで撮影するといった代替手段を講じる必要もあるでしょう。
警備記録
セキュリティカードを配布され、出勤して職場の建物や部屋のセキュリティを解除したり、仕事を終えてセキュリティをセットするとき、通常、その時刻は記録されています(警備記録)。これも、労働者の労働時間の重要な証拠となります。
この警備記録自体は、少なくとも残業代請求の消滅時効期間である3年程度は警備会社に保存されているのが一般的ですし、労働者自身が確保することは困難で、弁護士に依頼して、記録の開示に向けて会社と交渉したり、証拠保全手続きをとって警備会社から開示させる必要がありますから、労働者自身が自ら確保のために積極的に行動すべき証拠資料ではありません。
しかし、警備記録が開示されたときに、どのIDカード番号が残業代請求をする労働者のものかを特定するために、労働者自身が保有しているIDカードを写真撮影しておいてもらえると役に立ちます。
業務メール
業務メール(特に送信メール)もまた、労働者の労働時間の重要な証拠です。これらの記録(データ)は会社のパソコンの内部に保存されていて、会社の保有する情報であることが多いうえ、会社の業務上の秘密に関わる情報である場合がほとんどであると考えられます。したがって、それらを網羅的にプリントアウトしたり、データをコピーしておくようなことは、避けたほうがよいと思われます。
ただ、あくまで残業代請求に使用する目的で、残業代請求に必要な限りで業務メールの記録(データ)をコピーしておくことまで禁止されると考えるのは不適切だと思われます。たとえば、あくまで残業代請求に使用する目的で、会社で自身が専用しているパソコンのメーラーに記録されている業務メール本体ではなく、業務メールの送受信の一覧(タイトルや送受信時刻の情報を含む)をコピーし、それを外部に漏らすことなく保管しておくことは、法的に問題がないものと思われます。
ただ、パソコンのログのデータのところで触れたように、パソコンに私物のメモリを接続することが禁止されている場合もあるので、そのような場合には、メールの送受信の一覧を表示したパソコンの画面を携帯電話のカメラで撮影するといった代替手段を講じる必要もあるでしょう。
業務報告書、その他の業務資料
業務報告書、その他の業務資料も、そこに業務予定や業務報告とその日時が併せて記載されていたり、そのデータを労働者自身が作成し、データがその作成日時の情報と共に保存されているような場合には、労働者の労働時間の証拠となり得ます。しかし、こうした業務資料を紙媒体で職場外に持ち出すことは、それが特に許されている場合(たとえば、運転手に交付された運行指示書や、持ち帰り残業が許されているような場合)でなければ、窃盗罪(刑法第235条)にあたりますからやめておきましょう。
また、データが会社のパソコンやサーバーに保存されているにとどまる場合には、会社の保有する情報であることが多いうえ、会社の業務上の秘密に関わる情報である場合がほとんどであると考えられます。したがって、それらを網羅的にプリントアウトしたり、データをコピーしておくようなことは、避けたほうがよいと思われます。
ただ、たとえば、あくまで残業代請求に使用する目的で、業務予定や業務報告とその日時が記載された業務資料に限定して写真を撮影したり、業務資料の本体ではなく、業務資料の一覧(タイトルや作成・更新日時の情報を含む)をコピーしたりしておき、それらを外部に漏らすことなく適切に保管しておくことは、法的に許される余地があるのではないかと思われます。ただ、パソコンのログや業務メールのデータのところで述べたように、パソコンに私物のメモリを接続することが禁止されている場合には注意が必要です。
領収書等
労働者が出張時の交通費や宿泊料金について領収書をとっておき、後日、出張旅費精算時にそれらを会社に提出することがありますが、そうした領収書に記載された決済の日時の記録も、労働者の労働時間の証拠となり得ます。
こうした領収書等に記載されるのは、代金の支払先と金額以外には、購入した商品や提供を受けたサービスの内容等に限られますから、それ自体として会社の業務上の秘密に関わる情報である場合は少ないと思われます。したがって、こうした領収書等のコピーを、あくまで残業代請求に使用する目的で保管していたとしても、法的に問題はないものと思われます。
公開されている情報
公開されている会社のホームページ、会社が行うイベント等のチラシ、求人広告(定時、給与体系、業務内容などが記載されていることがある)などが残業代請求のための証拠になることもあります。
そういったものは、その会社の労働者でなければ得られない情報ではないので、プリントアウトしたり、画面をキャプチャーしておいたり、紙媒体の情報であれば1枚取り置きしておくとよいでしょう。ウェブサイト上の情報は、消去されたり、内容が改変されたりすることもあるので、適時に紙媒体やデータの形で取り込んでおくべきです。
以上のように、労働時間の証拠資料を会社が保有している場合には、後から法的な問題が生じないよう、残業代請求という目的達成に必要な限りにおいて、より安全な方法で収集しておくことが重要です。
注意点まとめ
まとめると、会社が保有している資料を証拠として収集する場合には、次の2点に注意をしてください。
①決して無理をしないこと
労働時間の証拠資料としては、できるだけ客観性の高いものが有効であることはもちろんですが、そのために無理をすることは決してしないでください。
会社が保有している資料を無理に収集しようとして、それが発覚すると、会社から残業代請求を妨害されたり、収集する対象や方法によっては、就業規則に違反するとして懲戒処分を受けたり、最悪の場合には窃盗罪などの刑事犯罪にあたるとして処罰される場合もあり得ます。
そのような無理をしなくても、たとえば、出退勤時に携帯電話から自宅や家族にメールを送信しておいたり、毎日の始業・終業時刻とその日の業務内容を詳細にメモしておいたりといった方法をとれば、会社が保有している資料ほど客観性はなくても、ある程度労働時間を立証することは可能です(残業代の証拠のページを参照)
②会社の業務上の秘密や他人のプライバシーに配慮すること
会社が保有している資料の収集は、収集する対象や方法によっては、就業規則に違反するとして懲戒処分を受けたり、最悪の場合には窃盗罪などの刑事犯罪にあたるとして処罰される場合もあり得ます。したがって、会社の保有する資料をやみくもに収集することはやめましょう。
証拠資料は、あくまで残業代請求に必要な限りで収集したうえで適切に保管するとともに、会社の業務上の秘密や他人のプライバシーを害することのないよう注意しましょう。そうすれば、就業規則上、データの持ち出しが禁止されているような場合も、正当な理由が認められ、懲戒処分は認められない可能性が高いと思われます。
また、やむを得ず職場で写真撮影をおこなう場合にも、会社の業務上の秘密や他人のプライバシーを害するようなものが写り込まないように注意しましょう。
ちなみに、私の場合、会社が保有していた証拠資料を裁判(原則として公開です)に提出する場合にも、依頼者の方からお預かりした証拠資料の中に、他人のプライバシーに関わる情報が記載されていて、それらの情報が労働時間の立証に必ずしも必要がない場合には、その部分をマスキングしたうえで提出することがあります。
以上の説明はあくまで一般論であって、状況次第では、上記の各資料を証拠として収集することが法的に問題となる可能性もあるので、まだ在職中で、職場にある証拠にアクセスする機会のある労働者が残業代請求を検討している場合には、証拠資料の収集方法について弁護士に相談しておくのが安全ではないかと思われます。